アニメ『花咲くいろは』1話を見て『満月をさがして』のおばあちゃんを思い出したり。
文月さんはツンデレと言っていいのだろうけど娘が生きているうちには結局デレられなかった。
そういうことは結構リアルにあることだと思う。親子関係ほどシビアでなくとも、長い時間の間に嫌悪を忘れて、でも和解する機会もなくてそのままになってしまうこと。だいたい人生分かれる人のほうが圧倒的に多いのだ。
長い間デレないツンデレに比べれば理不尽な暴力を振るうツンデレとかかわいいものだ。
ツンデレの強度を測るには最高到達点・期間・総量の三つの基準があるが、期間を短くしようとすると行動は過激になる。
ギャルゲーでルート毎の長さは大体一緒なのでどんな性格の娘でも(毎朝起こしてくれる幼なじみだろうが殺そうとしてくる相手だろうが)攻略するまでの所要時間はあまり変わらなくて落としやすさはあまり変わらないという…むしろ変化の幅が大きいツンデレのほうが落としやすくて好感度の初期値が高いほうがあまり変わらないので落としにくく見える。
あと暴力的だったり毒舌だったりする人は難易度を体の外に出せるので体の中にたまらなくて色々楽だ。御坂美琴の圧倒的ちょろさは彼女がもやもやとかリビドーとかを超電磁砲として打ち出せることに由来する。人に対しての直接攻撃は人を殺す程度が最大威力だけど、超電磁砲は一回空間に放たれるのがよいね…射精に近いカタルシスがある。大能力者の黒子が性欲をもてあますキャラなのは自分にしか働かないテレポート能力を持ってるからということなんだろうなあ…

『彼女はつっこまれるのが好き!』

『では始めまーす!』
なにをデスカ。
突然耳元で聞こえた声に、心のなかでツッコミを入れずにはいられない。

小説において主人公は読者の感情移入の対象となる―なんて言葉はもちろん何も与えてくれない。じゃあわかってる人だけで話を進めようか。主人公と恋愛するヒロインと恋愛したことのある人だけで。僕は恋愛って何かわからないので、いっしょにいたことだけをそう呼ぶ。
さておき、感情移入する主人公は読者と近いほうが感情移入しやすいかもしれない。平凡な高校生の主人公とはアメーバを自分と思えないという程度にエゴイスティックなシンプルさだけど。言うまでもなく、違う選択肢はある。光速の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる女性騎士が主人公でも人は感情移入できるし、できないやつはドン・キホーテと呼んで空想の中に排除すればいい。
選択もそれがなされたことも後の結果も別問題だ。とりあえず平凡な高校生を主人公に据えるという市民的にも見える選択がなされたあとの結果の前に僕は立っている。「常村良人」という名が示すのは、常にただのいい人であるようなつまらない存在であり、そんな彼が物語の主人公として舞台に上がるのは、大人気ライトノベル『ぼいる・しゃるるの法則』のアニメ化に伴い始まったラジオ『ラジオの法則』に「村人B」として出演することによってである。共演するのは「幼いころから子役として劇団に所属し、声優に転向してからは、さらに人気はうなぎのたきのぼり。ありえないぐらい、すごい」、大人気声優音無まどかであり、もちろん二人はつりあわない。ここには現実と夢の距離があって、埋めるのは幻想とロジックだ。「アイドルのあたしに普通に話しかけてきたのはあなただけだった」という理由付けにしかし、リアリティを感じられない人もいる。だってそんなのリア充じゃないか? 女の子に「普通に」話しかけられるわけないじゃないか? でも僕にはなんのとりえもなくて使えもしない言葉をそれでも信じるしかない。だからひねり出そう。ぎりぎりの舞台に切り詰められて自分から意味を形成できないような喉元からかろうじて漏れ出る言葉――つっこみ。

素人だから、先のことなんて読めないし、思ったことを言うしかできない。それがいいのかもしれない。それに加え、音無さんが完璧にリードしてくれるという要素も大きい。しゃべることが、こんなに楽しいことだったなんて。

できることを切り崩して切り崩して平凡な高校生に残ったもの、それが自分のものではない反応でしかないノリツッコミ。これだけを持って村人B―モブキャラ―は主人公になる。
平凡な主人公がヒロインとの距離に懊悩する作品として電撃文庫では『イリヤの空、UFOの夏』『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』などがある。繰り返すが、平凡であることを捨てても一向にかまわない。(例えば冬木冬樹にとって平凡なようで主人公が実は超人であることは自明である。)平凡であることを突き詰めれば物語の根拠はどんどん失われていく。去勢されきった文体でそれでも物語が可能だと、応答する。彼女はつっこまれるのが好きだから。ってタイトルが下ネタかよ!(ノリツッコミ)

『恋愛ゲームシナリオライタ論集30人×30説+』

今更夏コミで頒布された同人誌読みました。
まず断っておくべきことは、はっきり言って評論とか読む気がしないということです(なので感想を書くのに全くふさわしくないのですが)。評論のたぐいは僕の人生と接点を持たないので基本的に読ま(め)ない。読もうとしても視線が紙面を滑るばかりで頭に入らない。テキストに拒絶された状態。
それでも読めるテキストがあるとしたら、非コミュで仕方がない僕に優しく手を差し伸べてくれるようなものでしかありえない。だから佐藤リアだけが信じられる。彼は歓待の掟を知っているから。


注文。これだけ参加者が多いと管理が大変だというのはわかりますが、作品名の表記ゆれとか『』でくくってなかったりとかがかなり気になりました。
個別コメ
都築真紀論。未プレイですが、すごく丁寧に説明されていて、わかったような気になれました。語り方が抑制されていながら愛情が感じられました。締め方もよい。
枕流論。言われてみるといいんちょってそういう女の子だなあ、と。引用をたくさん使ってとても説得的。
トノイケダイスケ論。たいへんしっかりと書いてある。話の繋げ方がうまいなあ。
御影論。全体として問題意識に終始しすぎでしょう。解釈の補助線として有効なのはいいとしても、Kanon問題をどう処理しようとそれ自体はなんでもないのだからその結果として作品中でどんな美しさを表現したのかこそ重要なので。Keyの劣化に見えてしまってまあ実際プレイしてもそう思っちゃうんだけどわざわざ評論を書くならKeyに不可能だった何かを実現したと言って欲しい。あとキャラの気持ちをもっとクローズアップしてほしい。褒めるべきは『水夏』エンディングの位置づけだろうけど、「お土産エンド」の解釈に納得しないので褒めにくい。ここは一般的にどうなんでしょう。p207の引用で二回目の「純一」のあとに不自然なスペースがっ! 魔法をシステム化しちゃったら象徴的に読むことは不可能になるわけで、*23のようなツッコミが出てくる。そこを作者の意図と作品が断絶する特異点とするのも評論のひとつのパターンとしてありかな。『ef』。夕と優子の再会はおもいっきりスーパーナチュラルなのでは? 「単一エンディング構成であるこのゲームに再プレイはない」えっ。同じエンディングを見るために再プレイするでしょjk。

追記したいなあ……とかいうときは大抵しないのだ……。もうちょっとましな空気の読み方したい……。

鏡遊『神なる姫のイノセンス』

昨日の話の続き。

神なる姫のイノセンス (MF文庫J)

神なる姫のイノセンス (MF文庫J)

この小説は、『王の声』(オーバーロード)という絶対遵守の力を持っている主人公が、例外的に能力が効かないヒロイン(×7)と『誓約』(エンゲージ)して(まあパクティオーみたいなアレ)、ハーレム王になる、という話なのですが、主人公は能力のせいでまともな人間関係を作れなくて、ヒロインは能力効かないから心を通わすことができるというロジックで、つまりヒロインのみが他者なのですね。それ以外の人間は能力で改変可能なので他者たり得ない。で、この設定は前書いた「私」―美少女の二元論的世界観を物語で表現しているわけです。改変可能なものとは「私」に還元可能なもので、その独我論に回収されないことが他者=美少女の定義であると。
もう少し内容の話をすると、矛盾するけどギアス的能力ってヒロインにこそ使いたいわけで、だけど効いちゃったらどうしようもない。そこで全面的に効くわけではないんけれどもある程度は効く、というのはまあ良心的だと思いました。
独我論的全能性を形而上で支えるのが主人公の能力である一方、もっと唯物的なレベルでは世界的企業グループ(笑)の当主である妹が受け持つ、つまり妹=主人公となり、妹の能力で主人公が妹の身体に入り込む、みたいなエピソードもそれを示している。でも妹って攻略対象に決まっているので最後のヒロインは妹だというフラグがビンビンで、妹というか自分の分身を攻略して自他の境界を見極める展開に多分なるのです。
まあかなりクレバーなラブコメで読んでて気持ちよかったです。

人生が辛いので妄想をしよう。
まず俺が神になる→終わり。
何も楽しくない。
妄想をしたことがある人なら誰でも知っているようにそれは抵抗を設計することに他ならない。典型的に他者問題。
この世界で価値あるものといえば美少女で、美少女が俺を好きになることと承認は同義語だ。はじめ俺を好きでない美少女を俺のこと好きにさせるというプロセスを純化させた調教ものは世界の幻想全てではないか。僕はそんなに強くはなれなくて、全能と無能のあいだを探し続けているけど。
ときめきメモリアル2』を二ヶ月ほど前にやっていた。主人公の能力はパラメータで表示される。まあ150とか200とかあればよいエンディングを見るのに充分だ。では、999あればどうだろう? 学年トップになるのに必要な能力のさらに5倍の運動能力や知能を持ったスーパー高校生がいたらどうなるのだろう。そもそも5倍ってどういう意味で? 
ともかく僕に出来るのは整数を足したり引いたりする程度だ。想像力はゼロ。
かんがへださなければならないことは どうしてもかんがへださなければならない
何をかんがへださなければならないかは、だれがかんがへてくれますか。

例のアレ叩き


骨董とかサッカーとか海外旅行とかスキューバダイビングとか、ゲームとは全く違うジャンルに精通していると、確実に有利になります。どうやって有利にするかはヒミツ…というか、「自分はバイクが好きだから作中にバイクをたくさん出そう」とか、そんなダイレクトな意味ではないです。この辺りの『取り入れ方』が感覚的にわからないと、もの書き職への適性自体が薄いかも…です。
ほかには…えっと…キャラでは初一択ですね。声がよかったです。

Angel Beats! についてのメモ

twitterで気がついたらこのアニメの話ばかり書いてるので隔離することにする。メモなのでとりとめもなく。
1話「Departure」
僕たちがこのアニメを見るときに感じる「やりきれなさ」はなんだろうか? それは設定だの展開だのよりもまず、アニメが「動いていること」そのものにあるのだろう。Keyのゲームは静止画の集まりとして表されていた。このアニメのキャラクターも最初に見たのはNa-Gaの絵でだった。ゆりっぺや天使たちが動き出すという事態に僕たちはまず耐えられない。そんな気持ちを汲んでくれてるのだろうか。キャラはそんなに節操無く動くわけではない。はじめ、ゆりっぺは天使を狙撃するために止まっている。天使のところに行こうとする音無をゆりっぺは静止しようとする。天使のところに行けば、病院へ行こうとする音無を今度は天使が静止する。そして次なる移動、校庭から保健室への移動は音無が死んでいる間に行われる。保健室から出ようとする音無はまたも邪魔される。今度は野田に。彼にやられた傷が治った後、やっと音無は一人で自由に移動できるのだが、この移動の中身の無さときたらどうだろう。信用できる人間をさがすための単なる移動であり、人がいない場所は背景に過ぎない。空間に内実はないのだ。『けいおん!!』がモデリングの欲望を喚起するのに対してhttp://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-5353.html このアニメはマッピングだとか。http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-5003.html エロゲ的? まあそうとも言える。そしてたどり着く校長室だが、入ろうとするとまた引っかかる。どうやら(音無にとって?)移動は容易なことではないようなのだ。で、校長室である。ここで僕らを戸惑わせるのはキャラクターの「多さ」だ。多ければ多いほど拡散してひとりひとりの比重は軽くなる。集団のSSSに一人で対抗する天使の存在感が巨大であるように。オペレーション・トルネードについて。ガルデモのライブによってライブシーンの作画競争に終止符を打つと宣言する時に念頭に置かれるのが『涼宮ハルヒの憂鬱』の1エピソード「ライブアライブ」や『けいおん!』における放課後ティータイムの演奏シーンだということは断言してよいだろう。ここは作画枚数一万枚のうちの多くが注ぎ込まれたと考えられる徹底的に「動」のシーンであり、加えて歌や音楽が鳴り響くライブとは極めてアニメの自己主張の強い、あられもない場面だと言える。美少女ゲームから遠く離れたこの場面の裏で進行しているのが天使とSSSのバトルであり、これもまた動きの、そして多数のあられもなさを感じさせずにはいられないシーンである。この戦いはただ単に人数において一対多であるのではなく、得物においてもそうである。一本のハンドソニックとあまりにも対照的に戦線は銃弾を多数飛ばし、その刹那の軌道を目に焼き付ける。作戦の最終段階において風が一般生徒ーNPCたちの食券を巻き上げるわけだが、それは宙にあるとき銃弾のように光っている。食券はもともとNPCの、無名の多数のものであり、それが画面を舞い落ちていくという事態は不特定多数が動きによって画面を侵食するというこのフィルムの流れそのものであり、それが僕らを不安にさせるのだろう。

俺は登場人物の中では天使ちゃんに一番近いと思ってたけどゆりっぺも俺のように思えてきたし音無も俺だ。

ゆりをゆりっぺと呼ぶな問題。

「美しくないものは存在しない」というのが美少女ゲームの世界観であり、つまりはなぜエロゲーの背景はあんなに美しいのか問題。ライトノベルがその表現の不十分さを超えて美少女ゲームの代替となりうるのは表現「しない」機能を存分に果たしているからなのだった。つまり無限に美しいはずの世界で美しくないものを見せられると大変なえる。引いたカットなんてもう存在が悪。あとはまあ、動くものってぜんぶ醜くね、みたいな。そういう意味でも天使ちゃんは強い。