ハーレムラブコメの資本論

 一対一の恋愛を規範とする保守的な恋愛観からすればハーレムはシンプルに浮気であり、倫理的に認められるはずもないものだ。しかし、人はある意味で間違っているとわかっていることをなおすることができる。そこには別の正しさが存在するからだ。だから効果的な批判をするためにはまず相手のロジックを把握する必要がある。
 一対一で恋愛関係を結ぶことはお互いの欲望を交換する契約が成立すると言い換えられる。しかし告白は受け入れられるかもしれないし、拒絶されるかもしれない。勇気を必要とする運命的な出来事だ。
 しかし契約が頻繁に行われると次第に成立するのが当たり前になっていき、あのドキドキは失われてしまう。
 経済にたとえるとこれは貨幣の成立に似ている。一対一の物々交換から、一対多の貨幣経済へ。このとき貨幣の役割を果たし、他のものすべてのとの交換が可能なのがハーレム主人公である。このときヒロインは商品となる。商品はみな欲望されることを望むので、主人公はヒロイン全員を愛さなければならない。愛されなければヒロインは価値を失うので、これは倫理的に正当化される。
 経済に関して何も知らないので正しいかどうかは解らないが、一説によると現在の日本はデフレ不況であって、供給は多いが需要が足りないらしい。つまり需要の増大が必要ということになる。これは今のアナロジーでいうとヒロインが多くて愛が足りないので多くの欲望を持つハーレム主人公が待望されているということだ。
 つまり貨幣が廃止されて欲望経済に移行した世界で各が承認欲求に苦しみ、全体として愛の不足に悩む世界で無限の愛を供給することで全体の欲望に貢献する主人公のラブコメとか書けば非常にクリティカルでかつるのではないか。