『恋愛ゲームシナリオライタ論集30人×30説+』

今更夏コミで頒布された同人誌読みました。
まず断っておくべきことは、はっきり言って評論とか読む気がしないということです(なので感想を書くのに全くふさわしくないのですが)。評論のたぐいは僕の人生と接点を持たないので基本的に読ま(め)ない。読もうとしても視線が紙面を滑るばかりで頭に入らない。テキストに拒絶された状態。
それでも読めるテキストがあるとしたら、非コミュで仕方がない僕に優しく手を差し伸べてくれるようなものでしかありえない。だから佐藤リアだけが信じられる。彼は歓待の掟を知っているから。


注文。これだけ参加者が多いと管理が大変だというのはわかりますが、作品名の表記ゆれとか『』でくくってなかったりとかがかなり気になりました。
個別コメ
都築真紀論。未プレイですが、すごく丁寧に説明されていて、わかったような気になれました。語り方が抑制されていながら愛情が感じられました。締め方もよい。
枕流論。言われてみるといいんちょってそういう女の子だなあ、と。引用をたくさん使ってとても説得的。
トノイケダイスケ論。たいへんしっかりと書いてある。話の繋げ方がうまいなあ。
御影論。全体として問題意識に終始しすぎでしょう。解釈の補助線として有効なのはいいとしても、Kanon問題をどう処理しようとそれ自体はなんでもないのだからその結果として作品中でどんな美しさを表現したのかこそ重要なので。Keyの劣化に見えてしまってまあ実際プレイしてもそう思っちゃうんだけどわざわざ評論を書くならKeyに不可能だった何かを実現したと言って欲しい。あとキャラの気持ちをもっとクローズアップしてほしい。褒めるべきは『水夏』エンディングの位置づけだろうけど、「お土産エンド」の解釈に納得しないので褒めにくい。ここは一般的にどうなんでしょう。p207の引用で二回目の「純一」のあとに不自然なスペースがっ! 魔法をシステム化しちゃったら象徴的に読むことは不可能になるわけで、*23のようなツッコミが出てくる。そこを作者の意図と作品が断絶する特異点とするのも評論のひとつのパターンとしてありかな。『ef』。夕と優子の再会はおもいっきりスーパーナチュラルなのでは? 「単一エンディング構成であるこのゲームに再プレイはない」えっ。同じエンディングを見るために再プレイするでしょjk。

追記したいなあ……とかいうときは大抵しないのだ……。もうちょっとましな空気の読み方したい……。