コンテンツ産業論

タイトルの「コンテンツ」というのは色々あるが、マンガ、アニメ、ゲーム、ライトノベルなどのいわゆるオタクカルチャーがかなり中心的に扱われている。で、この本は東京大学出版会が出したものである。つまり最高学府の東大がオタクを学問として扱おうという姿勢を示していると解釈できる。そういうことには反発するのがオタクというものだが、ただ感情的に反発するのではなく戦略を考えなければ負けてしまう。のためには相手を分析しなければいけない。
タイトルに「産業論」とついていることから窺えるように、作品論ではなく産業構造の話をしている。章はいくつもあって、それぞれに違う話をしているが、割と中心的な主張は、日本のコンテンツ産業は「超多様性市場」だということだ。日本のコンテンツは江戸時代から、ハイアートとサブカルチャーが分離していた西洋とは異なり、メインカルチャーが存在せず特権的な作者も存在せず送り手と受け手が渾然一体となってきわめて自由で多様な市場を作り出しておりその現代における後継がたとえばオタクであるという。オタクと江戸文化というと岡田斗司夫が想起され、ナショナリズムがくぁwせdrftgyふじこlpとかいいたくなるのだが、出口弘はかなりしっかりした調査をしているので異を唱えたいと思ったらそれなりのデータを持つ必要がある。メディアミックスの構造を図式化してマンガ、アニメ、ライトノベル、ゲームを「上流」とよんでフィギアなどを「下流」と位置づけるあたりはかなり有用だろう。
ところでぼくは産業論とか詰まらないから表象論とかのほうが好きだが、そういうのは現実的に力を持たないという弱みがある。コンテンツ産業が好きならそれにかかわる人が食っていけるように尽力すべきであってそのためには小難しい作品論なんてやってる場合ではないといわれたら困る。そこで批評は売れる作品を作ることに貢献すべきだとか考えるのもいいだろう。というか批評はそのくらいできるべきではないか。アドバイスによってどんな人でも売れるようにするのは無理だろうが、目はあるけどちょっと問題がある人にアドバイスして改善したりはできるはずだ。そもそも作品論とかは売り上げとは別に学問の世界で力を持っているのだが、文学部はナショナリズムを作る場所なので大衆から乖離して動くことが本質的ではあるのだが、現代にそれではいけない。カノン主義は多様性を抹殺するためにあるけど当然不完全になるので。つまり受容のリサーチをちゃんとやれという主張にそりゃそうだとおもってしまったのでそこらへん考えます。

追記
結局何がいいたいかというと、
もっと強い批評を!
ということ。
批評は現在多くのものを排除しているのでそれらを取り入れればはるかに高精度の分析が出来るようになるはず。