闘争のための指針のひとつ

けいおん!」に対して、「こいつら全然音楽の練習してないじゃないか」などと言いたがる「良識派」はいったい何を守ろうとしているのだろう? 彼らは近代的労働イデオロギーに従っているのだろうが、彼らがそうするのに利点などない。ひたすら働いても幸せになれるとは限らない。だからそのようなイデオロギーはたんに古くて役に立たないのだが、時にアップデートは遅れる。立法者にでもなったつもりだろうか? 実をいうとそれは正しい。法は市民の良識によって作られ維持されるものだ。しかしそれが必ずしもすべての人を幸せにするとは限らない。あるべき形を決めることはそうでないものを排除することだ。
物語にはストーリーがなければならない。ギャグは笑えなければならない。アニメは動かなければならない。エロゲーはエロくなければならない。このような「なければならない」、すべての本質主義は自由の敵である。我々は断固として人間と創作の自由のために戦わなければならない。常識を破ったところにしか新境地はない。逸脱に許しを。剰余に恵みを。欠如は君が埋めてやれ。そして行き着くところは、万物への隔たりなき愛。