非言語的ディアレクティーク

いわゆる肛門ディアレクティークと一般的ディアレクティークは見かけがそんなに変わらない問題。だから経験したことのない人間には違いがよくわからない。口腔ディアレクティークとかなら固着したリビドーがあるので経験を抜きにしてわかるんだけど。つまり自分の肛門で練習すればわかるようになるのかもしれないが性的なことは禁じられているので問題外。
だから問題はいかにして生活する身体と潜在的なイメージを結びつけるかにある。その役割は学習可能な知恵が担う。単純には既存の結びつきを借用してくることになる。官能的な比喩とか。我々の目的はtwitterで変態postをしているリア充に対抗することだった。(変態postをしようとがんばった結果がこれだよ! http://twitter.com/suyera/status/5233281131)変態postの不可能性とはぼくらのなかで身体が未分化であることだが、それは感覚の伝達不可能性によって権力性を帯びる。だから現実とは離れた女の子身体を構築しなければならない。あらゆる美少女はアホ毛をはやしている。身体の上に別の象徴体系が重ねあわされることで萌えが達成される。
身体の分化についてもう少し。我々にとって身体の部分が意識されるのは機能しなくなったときだという論があるわけですが、異性の性器とかは明らかにそういうものではないわけで、それは体系のすり合わせによってしか達成できない。そうでなければ他人の身体というのは統一体で、焦点を定めることが出来ない。「器官なき身体」ってもしかしてそういうことだろうか? wikipediaを見た限りでは違うね。まあそう解釈するのも自由だろう。で、性の対象が全体であるので視線は表面をさまようほかなくて、そこで近付こうとしたら穴が開く。性行為とはそういう破滅としてみなければいけない。

※文中の「ディアレクティーク」とはセックスのことです。