ねこにゆーり

人間が苦手で猫が大好きな少女ゆーりと、彼女の幼なじみのセラ、同じく幼なじみでゆーりに恋する少年あっちゃん、あっちゃんに恋する少女あさひら、ねことゆーりを取り巻く人々を描いた4コママンガである。
帯に「ネコがスキなキミがスキ」とある。ゆーりにとってなによりも大事なのは彼女の飼い猫であるスカイをはじめとする猫であって、その次に大事なのは幼なじみのセラとあっちゃんである。それ以外の人間はクラスメイトや担任であっても存在を覚えようとしない。このような態度は明らかに理想的な完全コミュニケーションと相反する。光速・ノイズゼロのコミュニケーションの阻害要因として、ひとつには伝達の際の改変がある。「ゆゆ式」なんかは完全コミュニケーションの理想を否定して、情報伝達の不可能性をコミュニケーションの本質と捉えている作品といえる。それに対して「ねこにゆーり」で起こっているディスコミュニケーションは人間の指向性に原因を持つ。ゆーりは動物が好きだけど動物はそこまでゆーりのことが好きではない。ゆーりは動物の気持ちを知りたいと思うけど動物はゆーりの気持ちを知りたいとは思わない。ここに関係の非対称性がある。この作品はこういう非対称な関係に満ちている。あっちゃんはゆーりに片思いしている。だけどゆーりは猫のほうがあっちゃんより好きだ。あさひはあっちゃんが好きだが、あっちゃんはゆーりが好きだ。そういう状況でのコミュニケーションは当然せつないものにしかならない。一生懸命アプローチしても相手は別の人のことを見ているのだから。それでも振り向いてくれるのを期待して行動していくしかない。そういう片思いの本質、祈りに似た思いの美しさや無視される被虐的な快感をこの作品は描いている。(twitterでこちらからはフォローしているけどフォロー返ししてもらえないようなものだ)そういうわけで僕はあさひが一番好きだ。片思いの相手にはそげなくされ、恋敵は自分のことを眼中にない。どうしようもなく辛い状況でもあきらめないで積極的にアタックしていくから。
この作品においてコミュニケーション連鎖の頂点に立っているのはスカイをはじめとした動物である。動物と人間の関係はこういう非対称にならざるをえないのでペット漫画ならこのような楽しさはわりと一般的なのではないか。あまり読んだことないけど。
群集の存在も見過ごせない。無名的・集団的な人々は思うことしかせず思われることはない。
エロすぎる件について。性的な会話がとても多い。下手したら動物ネタより多いのではないかと思うぐらい。絵が非常にかわいいのでそんなにエロくはならないが。その性はオタク的である。オタ子(仮)やセラがニーソとかいうように。もちろん現実的リアリティはないがそんなことはどうでもいい。りんちゃんは非常に性的に奔放らしくてどう考えてもこんなびっちはうれしくない。一方ももてんてーは教師になっている年なのにまだつきあったことないらしくて正直引いてしまう。そんなに処女厨に媚びなくてもいいと思うのだが。しかし教師のあだ名がいんらんぴんくはイジメのレベル。

ねこにゆーり (1) (まんがタイムKRコミックス)

ねこにゆーり (1) (まんがタイムKRコミックス)

あ、あれっ? 「片思い最高」しか書いてないぞ? こんなつもりではなかったのに・・・