ヒーローに、なれません

(当初このエントリは前回のエントリに追加する形で書こうと思いましたがその内容ゆえにスターを下さった方々に申し訳が立たない気がしましたので新規のエントリとして書き起こします)
前回のエントリにきらら5月号が云々と書きましたが、そこで実物を引っ張り出してくれるほど奇特な人間は存在し得ないということに気付いたので詳しく書きます。詠んでない人には良くわからないことに変わりはないけども。ちなみに決して下品ではありません。下品だと思う人は肉の桎梏に捕らわれているのです。
もしゆずこたちが男だったら。ある日、ゆずお(仮)が突如「ちん○」と言い出します。聞いてみると、「ちん○が大きい人はなぜそうなったのか?」という疑問を提示します。しかしみんなはわけがわかりません。「お父さんのはおっきよなー」みたいな話をしたり。ゆずおが唯のちん○をさわって怒られたり。相川君のも大きいよね。そこでやってきたお父さんのちん○をさわろうとするけどそれはさすがに恥ずかしくて。「先生のちん○がうらやましいんです」と正直に言ったら、先生も高校生のときに大きくなったから大丈夫!と励まされる。
タイトルは「よよ式」で。(予約)
あまりにも自明なことを付け加えて置くと、この話で相川さんの存在によりゆずこと縁の非コミュっぷりが露呈するのと、縁が「先生に甘えるのって恥ずかしい」と思う、つまりお母さんをお母さんとして見れなくなる(そもそも先生をお母さんと呼ぶのは恥ずかしいというネタで、そこを恥ずかしがらずにお母さんと呼ぶことに面白さがあるわけですが、ここではその態度が取れなくなって凡人に低落してしまう)のはそこにあふれる性ゆえにほかなりません。さわる、大きくなるといった性の唯物性こそが仮想的性的世界の構築を阻むものだということですね。
それにしてもp18の6コマ目とかp19の4コマ目なんて本当に痛い。『AURA』とかは読んでもなんとも思わないけどこれには古傷をえぐられる。
野々原ゆずこは現実にいたら絶対いじめられる。