ゲーム性の/とスキップ

続き
よくギャルゲーについてるスキップ機能を使うと、まあすごく速くなるわけだ。ただ、シーンスキップなら文字通りスキップするけど、通常の画面の進行が高速になる場合、高速ではあっても一瞬で終わるわけではない。それを阻む要因があるからだ。テキストの流れ、絵の切り替わり、効果など。そしてスキップの間、ぼくらはそこに消されたゲーム性の影を見る。本来ぼくらを一定時間拘束し、心を揺さぶるはずだったそれが無為に過ぎ去っていく(それがゲーム性なのか物語性なのかは難しいけれど)。プレイヤーへの抵抗が消去されることでの達成感ということでは前書いたRPGの話とも似ている。でも人間はなかなかたいしたものでスキップだって楽しむことはできる。前できなかったことができるようになった、つまり歴史の蓄積。高速化された物語を理解する圧縮判断。始まった物語が終わるまで、スキップされる時間の中、あるいは何かを彩るためにある演出がそれ自体として存在してしまうこと。つまりは終わるべきことが終わるまで。人間はそういう時間に生きている。