ゆゆ式

超絶人気漫画『ゆゆ式』について
とりあえず基本的なところを確認しておきましょうか。言語ゲームについて。人間の会話はルールを持っている。しかしそのルールを正確に捉えることは難しい。たとえばP13のしりとり。「わいえむおー」に続き、「おモチ」、そしてここで「おモチ食べたい!」これはまさに「ルールブレイカー」だ。しりとりのルールなら「おモチ」に続くのは頭に「ち」がつく言葉でないといけない。しかしルールが破られたからといって二人の言語ゲームが終わるわけではない。すかさずゆずこが同調して「あでもワタシもおモチ食べたーい!」ということで二人の会話は続いていく。新しいゲームは、唯におモチを買ってきてもらうゲームだ。いや、これは若干正確さを欠いている。「あでもワタシもおモチ食べたーい!」といった時点ではまだルールは決定していない。4コマ目にいたって二人が口をそろえて唯に「おモチ食べたいなー」ということで、ゲームのルールがはっきりとわかる。しかしプレーヤーであるゆずこと縁がどの時点でそのルールに気付いたかはわからない。とりあえず4コマ目を読んだ後ならばそういうゲームを二人がしていたように見えるというだけだ。われわれは言語ゲームを行っているが、行っている最中でさえそのルールを知らない。このことはP17を見ればよくわかる。3人は情報処理部の活動というゲームを行うが、初めはそのルール、つまり調べる対象を知らない。会話の流れの中で出てきたものを対象とするだけだ。しかし、活動の最後には今日のまとめを行う。そのことによって一日の活動があたかも最初からその対象を巡っていたかのように錯覚される。しかしそれは後付でしかない。P41において唯がやったのが富士山ではなく四国だったなら? そのときは部活テーマは四国になっていて、まったく別の活動がなされただろう。ゲームはあらゆるところに生成する。たとえばP77,78。熱がエネルギーであることから連想して、私たちが超能力者である、という仮定のゲームが始まる。しかしゲームは時にクソゲーである。このときゆずこは「どうやったらオチる」かわからない。そんなときはすぐにゲームをやめてしまってもかまわない。P102で唯がもしうまくたとえることが出来たなら、そういう仮定のゲームが始まっていただろう。ゲームをやめる、あるいはルールを変えることがわれわれには許されているのだから、楽しいゲームを見つけるまでどんどんゲームを変えていけばよい。しかしP106の二本目では30分も同じゲームをやり続けた結果、三人がイライラして、「やるんじゃなかった」と思う結果に終わっている。ここでやっているのは箱入り娘というすでにルールが出来上がっているゲームだから、ルールを組み替えることができないのだ。そこでの解決法はP107にあるように、メタレベルの読み替えを行うことだ。
この作品は多様な言語ゲームとその性質を描いている。コミュニケーションの中からふとしたきっかけでゲームが始まる。ルールは何でもいいし、はじめた時点で気付いていなくてもいい。そもそもいつ始まったかはわからないのだ。そして失敗したときにはルールを変えることも自由である。彼女たちはとらわれず、自由にゲームを行う。
というか、本当に気になることはこれの読者がどのくらい「ゆずこは俺だ」と思っているかだ。ちなみに僕はかなり強く思っている。高校時代はこれに近いことをやっていたような気がする。美少女だったら本当にこんな感じだったに違いない。最近はいかにわれわれを縛るルールを無効化するか、というようなことを考えてそういうゲームを行おうと心がけているが、昔はもっと何にも考えずに意味のないゲームをやっていた。つまりゆずこだった。
これは『ゆゆ式』にとどまらない問題で、たとえば『ONE』の折原浩平って俺だと思っているけど、ほかの人はそういう風に思っているのだろうか。

ゆゆ式 (1) (まんがタイムKRコミックス)

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